AKI INOMATAが2019年に青森県にある十和田市現代美術館で開催した個展は『Signigicant Otherness』(重要な他者性)というタイトルだった。“他者”。私たち人間ですら、家族を含めた他者=他人のことを完全に理解するのは不可能である。しかし、INOMATAはそれをあきらめるどころか、言葉が通じないヤドカリやタコ、ミノムシやビーバーというような生物たちと共創し、ひとつの作品を作りあげていく。言葉が分からなくてもいい。何を考えているか分からなくてもいい。だけども彼らの目線にたち、想像することで、いつの間にか“他者”(よそ者)という枠組から外れ、互いの存在価値を認めあうことになる。こうした生き物たちとの対等な関係を築くINOMATAは、私たちが今までに見ることができなかった、いや見ようともしなかった景色を美しいものとして提示する。
数百年間、人は人のことだけを考えて開発を続けてきた。その結果、地球規模の問題にまで発展した。しかし人の歩みは簡単にとめることはできないだろう。だからこそ「重要な他者性」は重要なキーワードのひとつになる。お互いがお互いを認識し想像することで、人と人、人と動物や植物といった旧来の関係性ではなく、新たなつながり(パートナーシップ)を築くきっかけとして。
遠路はるばる東京から山形県の鶴岡市にあるSpiberまで来ていただきましたが、INOMATAさんの制作過程において、こうしてラボに行ったり専門家に話を聞くことは、いつも行っていることですか?
私の制作は8割がリサーチといっても過言ではありません。興味を持った対象、気になるコンセプトなど、実際にその場所や詳しい人のところへ赴き、話を聞いたり、その様子を見ないとわからないことはたくさんあります。例えば、『Lines-貝の成長線を聴く』という福島のアサリを使った作品があります。アサリの貝殻には弧を描くように何本もの細い筋がありますが、あれは“成長線”と呼ばれる、木でいう年輪のような線なんです。私たちの目には、2011年の東北で起こった劇的な光景が焼き付いていますが、福島のアサリから見たらどうだったのか? 地盤の改良工事がつづく海岸をどのように見ているのだろうか? をコンセプトに、成長線をまるでレコード盤の溝に見立て、音に変換し聴くという作品をつくりました。この時は研究者の方と一緒にアサリも採取したり、多くのことを教えていただきました。
行動派ですね。
行動派ですし、現地派です(笑)。私自身知らないことばかりなので、まず知りたい。実際今回も「Brewed Protein™とは!?」「人工タンパク質とは!?」に興味を持ち、このように本社にお邪魔させていただきました。実際にラボを見ると、特に人工タンパク質を生産する微生物を育てる工程は、想像していてたものとはかなり違いました。
微生物といえど、ちゃんとした生物でしたね。
栄養源や空気を与え、微生物を増やすプロセスは特に印象的でした。下調べをしている段階ではもう少し機械的なものをイメージしていたのですが、どこかヨーグルトを作るイースト菌やパンを作る酵母を”育てている”ように見えました。
ビーバーがかじった木を彫刻にしたり、ミノムシにご自身が着た服を与えそれでドレスアップした蓑を作ってもらったりと他者を介して制作をする、INOMATAさんが定義する“共同作業”と、Brewed Protein™繊維の作り方は重なるものでしょうか?
私が考える”共同作業”というのは、例えばビーバーが木をかじって巣にする習性など、生物たちの営みの一部を借りて…と言う意味なので少し違う気がしています。むしろBrewed Protein™繊維は農業に近いような印象でした。
まるで水と光さえあればスクスクと育つカイワレ大根のような。
私のアート制作で通底しているのは、人間が人間のことだけを考えて生活する、いわゆる“人間中心主義”への疑問です。実際それをきっかけに現在大きな問題になっているひとつが環境問題だと思います。じゃあ、どう解決できるのかを突き詰めていったときに「人間がいなければいいじゃないか」みたいな極論に辿りついてしまうことがありますが、私たちは私たちで生きていかなくてはいけない。そんななか「これってこうすれば解決できます」みたいな、衣服と環境のエコロジカルな関係性をSpiberは実践しているように感じました。一方、私はアーティストとしてはその答えの手前で立ち止まって、どういった方向性があり得るのか考えるような表現をしていると思っています。例えば、人間以外の視点で私たちが普段見ているものを考えてみる…とか。そのちょっとずれた角度だけで何か新しく見えてくる景色や考え方があるのかなと。Spiberとはアプローチは違いますが、想像する美しい世界は通じるものがあるかもしれません。
アートと科学の関係性についてはどう思いますか?
科学とアートは一度は分離しましたが、現代においてはAIなどコンピュータサイエンスの分野などで、近代的な知の枠組みを超えた問題が現れてきています。そうした地点で、アートと科学は再び接近してゆくように思います。特に私のプロジェクトにとっては、生き物の生態や習性を知ることが重要な課題。それにはやはり自然科学的な知見が必要です。
INOMATAさんの作品には『やどかりに「やど」をわたしてみる』や『彼女に布を渡してみる』など、「〜してみる」という言葉が作品名によく使われている印象があります。その背景には、いろいろと試行錯誤実験的な制作をしているように思いました。
正直“やってみないとわからない”というところも大きいんです。例えば、インコと一緒にフランス語を習いに行ったりもしたのですが、正直インコが覚えるかどうかは未知数です。しかしやりながら発見が生まれたり、最初のコンセプトにいくつもの要素が乗っかっていくこともあります。先ほどの“行動派”じゃないですが、とりあえず実験してみないとその次に何をすればいいのかも分からないことが多いので。その分、断念したプロジェクトもたくさんありますよ…。
コントロール不可能な生き物を使っていますからね。
同時に彼らの意外な創造性に驚かされることや、本筋から離れたことを学ぶこともあります。例えば、私はビーバーと一緒に彫刻を作ったことがあります。ご存知の通り、ビーバーは木をかじる動物です。制作中にビーバーがかじった木を集めていたら、木の中にカミキリ虫が住んでいたのを発見したことがありました。こうしたことを目の当たりにすると生物と生物の繋がりを感じざるを得ない。そこから想像を膨らませて行くと、“点”ではなく、さまざまな物事の関係性を“線”で考えるような癖がついているのかもしれません。
しかしこの情報化が進む現在で、つながりを見つけることはなかなか難しいことです。“切り取り”時代ですし。
切り取られていても、ずっと観察している中で見えてくるものもあります。私も長く一つのものを観察していると、事象のつながりをふと発見する瞬間に立ち会うことが多々あります。そして、そのつながりの連鎖の中で私たち人間も生活していることを知る。これはそれぞれが実体験というか、自分の目や体を通じて確認したほうがリアルな体験として残ると思います。だから10秒でも20秒でもいいので、一つのことを観察してみるのもいいかもしれません。つながりを想像するのは楽しいですよ。
“つながり”、つまり自分たち以外の生物との共存。人間も色々な生物との関わりで生きています。例えば洋服を作る時も、綿花からコットンを、羊からウールを。
ちょっと話がとんでしまいますが、アンモナイトとタコの作品『進化への考察 #1:菊石(アンモナイト)』を制作した時に思ったことがありました。この作品は、タコの祖先とアンモナイトの祖先が実は一緒であることから、タコにアンモナイトの殻を復元したものを与えてみる実験。その結果、タコがその殻を気に入って住んでくれるという作品なんです。その実験をした時にタコを、もし人間に置き換えて考えてみたらどうだろうと考えたことがあって…。タコは進化の過程で、動きやすさを優先し貝殻を捨て、傷つきやすい生身の状態で生活することを選んだ。一方人間はというと、やっぱりネイキッドな状態だと傷つきやすいし、暖をとる必要もあったため裸で生きていくことが難しかった。だから誰かの毛皮を借りることにした。私は、この“衣服を纏う”ってものすごい進化だなと思ったんです。でも毛皮を借りていた時代は、うまく需要と供給のバランスが取れていた。しかし現在人口がこれだけ増えてしまったなかで、人間は何を纏うことで進化したと言えるんだろう…と。その答えなのかもしれない事象を今日目の当たりにした気がします。
東京都生まれの現代美術家。3Dプリンターで出力したプラスチック製の「やど」をヤドカリに渡し、引っ越す様子を観察した「やどかりに『やど』をわたしてみる」シリーズ(2009〜)や、飼い犬の毛と自身の髪でケープをつくり、互いに着用する《犬の毛を私がまとい、私の髪を犬がまとう》(2014)など、生き物との共同作業のプロセスを作品化する。人間とは異なる視点やふるまいを持つ動物たちとの共作を通して、人と生き物の関係性を再考する。2012年第15回岡本太郎現代芸術賞入選。14年YouFab Global Creative Awardsグランプリ、18年Asian Art Award 2018特別賞を受賞。近年の個展に、「AKI INOMATA:Significant Otherness 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019〜2020)などがある。